中国 成都、麗江、肇慶へ前編。(2010年9月)

2010-09-30

今回の訪中は九月十九日・福岡から大連に飛んで山東省済南を経由して四川省成都-雲南省麗江-広東省肇慶と二十五日まで中国を縦断するような旅であった。

成都へ(十九日)

いつもの事ながら、中国の国内線は定時に飛んだ事は無く今回も四十分遅れで
成都の市内中心部にあるホテルに着いたのは二十二時を過ぎていた。

成都に訪れるのは二回目で、今回は三星堆の見学が目的である。

ちなみに前回は、杜甫草堂・武候祠・楽山などの見学であった。

三星堆の見学(二十日)

『蜀犬日に吠える』という例え話が成都にはあるそうで太陽を見る日が少なく
たまに出ると犬が太陽に向かって吠えるという事らしい。

あいにく、今日も朝から雨であった。

朝九時三十分にホテルを出発。気温は三十二度あり暑い。
三星堆までの距離は、綿陽高速道・一般道を走り約52km。

天気は途中より雨は上がり、曇りに変わる。

【シェラトンホテルから約52kmの三星堆。三星堆入口。】


三星堆博物館は樹林の中に遊歩道のある広大な敷地に展示館が独立して二つあり
第一展示館は玉器・青銅器・金器・土器などが展示されている。

【ここより樹林の中の遊歩道へ。】


【三星堆博物館前。後に見える塔は第二展示館。】


【三星堆博物館 第一展示館。】


少し離れたところに第二展示館はあり、館内は天空への回廊を登るイメージで
螺旋状の通路で上階へ登るようになっていた。

【三星堆博物館 第二展示館。】


ここには青銅製の仮面・青銅立人像・青銅座像・青銅平頂人頭像・金面マスクなど
他に類が無い独特の大型青銅製の出土品が展示されていた。

【三星堆博物館 第二展示館内。】


【展示室内は暗く、天井は高い。商代晩期 青銅製神樹。樹の幹の高さ:384cm、通高:396cm】


【商代中期。金製杖。長さ:143cm、直径:2.3cm】


【商代晩期 青銅製獣面。(目が突起してる)高さ:65cm、幅:138cm】


【商代晩期 青銅製人面具。高さ:52.5cm、幅:38cm】


【商代晩期 青銅製立人像。人像高さ:172m、通商:267cm 龍・虎・鳥の青銅製がある】


三星堆という名称は、三つの星の形をした丘から名付けられたそうである。

発見されたのは一九二九年・一九三四年・一九七〇年・一九八〇年と複数回に
わたっている。特に一九八〇年には重要遺跡が発掘され、今より五千年前か
遅くとも商代の末から周代の始めの三千年前のものであると結論付けられている。

だが、未だ解明されていない謎も多いようである。

麗江に行けるはずであった。(二十一日)

朝八時三十分にホテルを出て空港へ。
空は曇っていたが雨になるとは思っていなかった。

午前十時三十分発麗江行きCA4265便を待っている間に雨が降り始め
そのうちに激しくなり雷雨となった。

雷雨では飛行機は出発しないので不安に思っていたら、案の定時間がきても
搭乗案内が無い。

時間は過ぎて、十二時四十五分になり昼食の弁当と水1本が配られた。

昼食が終わっても遅れた理由などの説明は一切無く、運行掲示板には
『麗江行き十時三十分』と標示されていたままであった。

中国は九月二十二日から三日間『中秋節』で、今年から休日になり
郷里に帰省する人や社員旅行などの乗客が多く私以外には外国人は
いない様であった。

その帰省客の中国人が少しずつ苛立ち始め、係員に詰め寄る場面が
激しさを増して来た。

重慶から来た飛行機が着陸できずに引き返したという話も伝わってきたが
正確ではなくまた、係員からの説明もないまま時が過ぎていった。

十五時四十分頃、突然中国人乗客がホテルに行くのだといって、あわただしく
動き始めたので、私は何がなんだか判らないままついて行くことにした。

もちろん、その時も係員の誘導は無く空港の外に待機していたバスに乗り込んだが
どこのホテルに行くのか全く不明、二十分くらい走って到着したがホテルと言っても
招待所のような所で女性が二人いて各部屋割りが始まった。

その後夕食の弁当を、ロビーみたいなところで済ませた。

ここで一夜明かすのかと思っていたら、二十一時十五分に空港に行くと言う事を
中国人の若者が知らせてくれて、待機中のバスで空港へ。

また改めて安全検査を済ませて待合ゲートへ。だが何も案内が無く待っていると
飛行機が到着したらしく、乗客が廊下を通る姿が見えた。

そして窓越しに確認できる場所に飛行機は到着していた。

これでやっと乗れるものと思っていたら、その気配は無く係員の案内も無く
再び時間が経過するばかりである。

それに怒りだした中国人乗客の若い男女が一斉に怒号をまじえて抗議を始めた。
しかし何も説明が無く何時になったら飛ぶのか不明のままである。

乗客の怒りは増すばかりで係員と押し問答の末、押しのけて搭乗口の廊下に
数人が飛び出し、そこでまた押し問答をするという事態になったが問題は解決せず
ただただ悪戯に時間が経過するばかりである。

機長もその場に来ていて、抗議に怒っていたというのを後で聞いたが。

突然、麗江行き十時三十分発CA4265便のキャンセルの標示が出て
翌日の二十二日、十四時に変更されたというのである。

ゲートに飛行機が着いているのを見ながらのキャンセルに抗議は更に激化。

すると今度は0時五十分に別の麗江行きの便が出ると案内され、CA4265便の
乗客は口々に『前の便がキャンセルで、なんで後の便が飛ぶのか』と言って
その便の乗客を乗せまいと、通路を一時人垣で封鎖したため乗客同士で口論となった。

それが原因で、別の麗江行きの便は一時間以上の遅れで出発した様である。

実に空港当局の対応は日本では考えられない事で、乗客に対する親切心は
全く無い。私もいささか怒を通り越して呆れ果ててしまった。

乗客の抗議は延々と続き、午前三時に別のホテルに行く事になった。

そこで一夜を明かす事に。

波乱開けの二十二日

午前十一時三十分にホテルを出て空港へ。何度目かの安全検査を済ませて
待合ゲートに行き十四時発の便を待つ事になるが、それがまた飛行機が
何時に着くか不明という事で、係員との押し問答が始まり昨夜の再現となった。

全くこの国の組織はどうなっているのだろうかと、不思議に思った。
この通信手段が発達した時代に、なぜ連絡の取り合いが出来ないのかと
私も怒り心頭に達していたがどうしようもなかった。

そうして十五時五十分に飛行機が飛ぶ事になり、やっと麗江に行ける事となった。
なんと、三十時間に及ぶ足止めを食らった事になる。

その間の釈明は空港当局からは何も無かった。

ただ、二百元(日本円で約三千円)の払戻しがあったのみである。

この三十時間の空白で、後のスケジュールが大幅に狂ってしまった。

何も説明が無い係の対応に比べて、あれだけ激しく抗議していた中国の若者は
私に色々と良く親切に知らせてくれる。大変有難く感謝している。

麗江には十七時過ぎに着いた。親切な彼らとも手を振り合って別れた。

【麗江飛行場。】


【新しい麗江空港。運用はまだ開始されていない。】


飛行場にはガイドの楊さんが迎えに来ていた。楊さんも飛行機が大幅に遅れた事と
昨夜は情報も無く大変であった様だ。

ホテルに着いて、明日のスケジュールの打ち合わせで一日が終わった。

ほぼ1日半が台無しになる、非常に遺憾な飛行機の遅れであった。

【曇りで玉龍雪山は見えなかった。(ホテルより。)】


麗江での様子及び肇慶のレポートは次回へ続く。


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