中国 鄭州・麗江・肇慶の旅。後編(2011年4月)

2011-04-30
今回の訪中の目的は殷虚遺跡(2回目)で、甲骨文字をもう一度見たいという思いと 東巴文字簡易字典作成の為の第1次校正をすること、そして肇慶に劉演良老師を尋ね 老坑などの現況を知ることであった。

10日 肇慶・劉老師宅にて

10日は肇慶帰りで朝が早い。 8時30分にホテルを出発。肇慶まで120km。 広州市内を出るまでが時間が掛かる。途中から電話で打ち合わせをしていた。 華僑大厦に着いたのが10時10分頃。思ったよりも早かった。 そこには劉紅さん姉妹が迎えに来てくれていた。 ここで、李さんと運転手とは昼食のレストランで合流する事にして 劉老師宅へ自家用車で行く事になった。 家では劉老師と奥様が、いつもの笑顔で出迎えてくれた。 【劉老師宅にて。】 挨拶を交わした後、日帰りという事で手短に用を済ませたいのだが 色々話も多くなって、12時になろうとしていた。 その話の内容は ●昨年の秋に依頼していた黄任(1762年の銘文がある)端渓抄手硯の箱をもらう。 ●昨年入手した黒端については、偶然職人が端渓の中から見つけ出したもので 1つの原石から3個作硯し、その内の1つを小生が頂き、他は老師の手元にある。 その後は(黒端の原石は)見つかっていない。 ●老坑開採については、その計画は現在のところ無い。 ●宋坑、沙浦石については少し出ている。 等である。 【今回購入した硯の説明。40年間老師が所持していた硯。後日紹介したいと思っている。】 さらに、劉老師の著書にも述べられているのではあるが 今回、台湾国立博物館主催 『端硯石品の美』展 の話をされたので 参考になればと思い、以下にその内容を抜粋してみる事にした。 端硯の美とは、その石質が細膩、瑞々しい、滋潤、緻密堅固なことにあり しかも更に絢爛多彩な石品花紋がある。故に先人が賛美して曰く 『細潤玉のごとし』、『温軟嫩にして滑らず』、『水を蓄えても減らず、発墨して損筆せず』と。 則ち端硯は歴史上において名声を博しているだけでなく、中国四大名硯の トップの座を占めている。 端硯は古来より磨墨の実用機能を第一とするが、実用以外にも鑑賞価値があり 鑑賞する場合、石品花紋及び石質に主眼を置く。 唐代の李賀及び劉禹錫の詩を読み返せば、当時既に端石の石品花紋を認識し 鑑賞している事が分かる。 歴代の端硯は全て石質が最も良く、石品花紋が数多くある最も美しい部分を 墨堂として作硯し、且つ端硯の石質及び石品花紋を鑑賞する部分であり 磨墨の場所として実用に適さなければならない。 端硯の彫刻の役割についても、当然軽視できない。一枚の良質の端石に対して 真剣に構想を練り、入念に設計した後、芸術的な加工を施す事は 錦上に花を添えたものにする為であり、余計なものを付け加えるものではない。 開採された多くの端石には、殆ど瑕疵や欠陥があり、これは玉を彫刻するのと 全く同じである。 従って端硯彫刻の目的は、端石にある疵を彫刻の手法で 取り除くか、或いは隠して無疵に変え、芸術的にすることである。 近年一部の独善家がメディアに投稿して 自分は『神技を持つ彫刻名人』で『ちょっと手を加え、つまらぬものを 立派に変える』、『廃石を宝石に変える』ことが出来るなどと吹聴している。 このような事は端硯に対する鑑賞を誤った方向に導く事になる。我々が言うのは 硯を彫刻するのであって、石を彫刻する事ではなく、鑑賞するのは端硯であり その他の種類の硯ではない。 もし優美な端石や珍貴な石品花紋に出会ったら刻硯しようがなく、硯板に仕上げるだけで これこそが最も鑑賞価値があり、最も珍貴な端硯である。 昼食は劉老師の計らいでご馳走になり、13時に広州へ向かう。 ホテルには15時頃到着した。 今回殷墟での写真を撮るのが少なかった。というのは 処刑された人骨や車馬が生き埋めにされた姿は無残で撮る気持ちになれなかったからである。 今回の旅行での飛行距離と車での走行距離は一番長かったような気がする。 大まかに計算してみると飛行距離は10100km、走行距離は840kmだった。 いつもながら下手な写真を紹介していますが、今回は更に見にくい写真で申し訳ありません。
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