老坑の現況について (2009年9月)

福岡から肇慶へ

19日福岡から空路広州へ、広州で1泊して20日朝8時30分に肇慶に向かい約2時間で到着。

ホテルには劉演良先生のご長女・劉紅さんが出迎えに来ておられました。

劉先生宅へは午後訪問して持参した硯板2枚の改刻をお願いしたところ
2枚とも老坑の石品花紋すべてが揃っているし、『くよく眼』も素晴らしいから
改刻する必要は無いのではないかと言う事で、一晩考えてみて明日返答する事になりました。

結果は形を変えずに、浅く改刻して頂く事になりました。


肇慶市端硯協会にて

今回の老坑行きは劉先生のご配慮で肇慶市のテレビ局が同行取材する事になっていました。

そのような事で老坑へは21日朝8時にホテルを出発する事になりました。

さらに、肇慶市端硯協会副会長の王健華氏が北京から帰ってきたばかりというのに同行して頂く事になり
劉先生・劉紅さん・TV局ディレクター陳暁氏・カメラマン陳剣義氏・女性記者の李さん及び
私と他2名の計9名で行く事になりました。

【肇慶市端硯協会入口にて。右から劉先生、私、王副会長。】


【肇慶市端渓博物館入口にて。】


【博物館内での取材。右から李さん、劉紅さん、私。】


【博物館内での取材。】


【博物館内で王副会長より説明を受ける。】



西江を渡り、老坑へ

ホテルから老坑まで約30分で着きまして、2年振りに西江を船で渡りました。

【西江を渡る船上にて。右から王氏、私、劉先生、李さん、陳カメラマン、陳ディレクター。前方に見えるのは老坑の船着場。】


老坑では船着場も整備されて西江遊覧船も2隻ありました。

船から上がると老坑周辺の風景が一変していました。

【船着場から老坑への階段。】


端渓は堤防が出来、人造湖となって堰から清水が西江へ溢れ出ていました。

【整地され湖となった端渓とその渓谷。】


湖の周りには遊歩道も完備されて、その名も『紫雲谷』として風光明媚な観光地になっていました。

【遊歩道と憩いの広場。向かいは湖。】


【遊歩道左の建物は、かつての老坑作業所。先の白い建物は老坑洞入口。山は坑仔巌に続く斧柯山。】


【前回訪問時には建設中だったレストラン。】




快晴で暑い陽射しの中、私に対するインタビューが40分程ありました。
取材の要旨は今回私が老坑に来た目的、以前と現在の老坑について、端渓硯について等でした。

【取材前の記念撮影。私たちと奥の建物の間の階段は旧老坑洞口。建物は、先ほど出て来たかつての老坑作業所。】


【取材が始まる。遊歩道の向かいは湖。】




端硯協会福会長の王健華氏が、旧老坑洞口は周辺の埋め立てによって湖の水位が上がって10メートル下に水没していると説明がありました。水没した旧老坑の周囲は鉄鎖で囲み昔の面影は無く、その横に『端石老坑洞遺址』と刻された朱の碑文がありました。

【端石老坑洞遺址の碑。】



また、老坑洞内の盗掘を防ぐ為の爆破による封鎖については、洞内は常に水没の状態にあるので、その必要は無いと言うことです。坑仔巌坑、麻子坑については若干入口を爆破して封鎖されているようです。

【閉鎖された老坑洞入口前にて。右より王氏、私、劉先生、陳ディレクター。】


老坑は封鎖されて10年になりますが、2年前から端渓の資源がどのくらいあるか地質調査中だとの事です。

民間に流出している原石についても調査して、その後開採の時期が決定されるそうです。
民間の1、2の硯工場は自分達が作硯出来る程度の原石を持っていても、なにしろ
閉鎖から10年経過しており、そんなに大量の原石は無いのではないかと言う事です。


訪肇の結果

今回、私の訪肇の目的であった老坑についてですが、王氏の説明・劉先生の話を総合すると
端渓は羚羊峡及び老坑を始めとする斧柯山一帯の各坑と『紫雲谷』とを両立させた
観光地として発展して行くのではないかと思いました。

以上が訪肇し、実際に見聞して到達した結論です。


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